【火垂るの墓】清太はなぜ働かなかった?生い立ちや死因も詳しく紹介

『火垂るの墓』は、高畑勲さんが脚本・監督をつとめたスタジオジブリの長編アニメーションです。『となりのトトロ』と同時上映され、その対象的な作風が公開当時から話題となりました。

今回は、そんな『火垂るの墓』の主人公・清太について詳しく解説していきます。清太がなぜ働かなかったのか、死因はなんだったのか、しっかり把握して作品をより深く考察してみましょう!

目次

『火垂るの墓』の悲劇の主人公・清太のプロフィールをチェック

名前清太(ドラマ版:横川清太 舞台版:寺田清太)
性別男性
年齢14歳
容姿黒髪短髪・中肉中背(両親健在時)
声優辰巳努

清太は、4歳の節子の兄で、原作者である野坂昭如が自己投影した主人公です。野坂さんは、実際に妹を戦争で亡くした経験を活かして、原作小説を書きました。

また、野坂さんは実際に疎開先を飛び出して防空壕で生活したという経験はありません。しかし、疎ましく思い愛情を注げなかった下の妹への鎮魂と贖罪のために原作小説は書かれたのです。

愛情深く妹思いの清太のキャラクターは、妹に優しくすればよかったという野崎さんの思いで作られました。

『火垂るの墓』で描く過酷な戦後!清太の年齢はわずか14歳

清太は劇中で少々大人びて見えますが、年齢はわずか14歳。育ち盛りで本来であれば思春期を迎えたり、青春を楽しむような青年です。

しかし、舞台は太平洋戦争末期の過酷な時代でした。さらに清太は両親を亡くし、節子と2人で戦争孤児となったため、貧しく自由のない暮らしを強いられていたのです。その過酷さは、節子と清太の死によって劇中で凄惨に描かれています。

疎開先から逃げた当初は、14歳にも関わらず火事場泥棒や畑泥棒も働きました。若い青年が生きるために必死に罪を犯す姿は、多くの視聴者に悲惨な戦争孤児の末路を見せつけるように描かれています。

清太の読み方はせいた!『火垂るの墓』で苗字は明かされない

正確な読み方を把握していない人もいますが、清太の読み方は「せいた」です。きよた・しょうた、ではありません。どちらかというとマイナーな読み方なので間違えやすいですよね。

また苗字に関しては、アニメ映画では明かされていません。原作者である野坂昭如さんが自分を投影していることから、苗字は野坂ではないかという考察もあります。

一方でドラマでは横川、舞台では寺田、という苗字が清太と節子には付いているのです。この苗字は原作に登場しないものなので、後付けで作られたと考えられます。

『火垂るの墓』の意外な事実!清太は金持ち?
清太が働かない理由を考察

ここからは、多く存在する「清太が金持ちだった」という考察を解説していきます。これは両親が健在の時の清太の様子から推測される説です。確かにアニメ映画をよく見てみると、清田と節子は、太平洋戦争当時にしては良い暮らしをしているように見えます。

清太は裕福であったためにニートを選んだという説

清太と節子は、両親健在時は素麺やカルピスを日常的に食べられるような裕福な家庭で暮らしていました。特にカルピスは当時でもなかなか高価な飲み物であり、2人はかなり贅沢な暮らしをしていたことがわかります。

そして裕福な暮らしに慣れていたために、清太は疎開先でもダラダラと過ごすようなニート生活を選んでしまったのではないかと言われています。一生懸命働いたり、家庭に貢献するような姿勢を学んでいなかったため、悪気なくニートのように過ごしてしまったと考えられているのです。

疎開先のおばさんは清太のこの姿勢を不服に思い、食事を粗末にしたり、厳しい言葉をかけたりしました。一見このおばさんが悪者のように思えますが、家事を手伝わず学校にも行かず、働きもしない清太におばさんが不満を持つのは納得という意見も散見されます。

清太はクズ?プライドが高くて働かなかったという説

清太は裕福な暮らしをしていたためにプライドが高く、自分から積極的に働いたり手伝ったりするようなことができなかった、という考察も多く見受けられます。

誰かに頭を下げたり、感謝を示すことができなかったため、おばさんとの関係も悪化してしまいました。このプライドが、直結的ではなくても2人の死につながったのです。

生き残ることや、節子の今後を考えるのであれば、おばさんに頭を下げてでも良好な関係を保ち、疎開先で暮らすべきでした。このプライドに関しては、高畑監督も言及しています。

あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。
清太はそれを我慢しない。

徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。

つまり、高畑監督は清太のプライドや堪え性のない姿を、強調しているのです。このような態度がどんな悲劇を招くか、何を失うかを冷酷に描いています。戦争や両親の死去などの悲しい境遇だけでなく、自分の行動や態度が周囲との隔たりを生むことがよく表現されているのです。

『火垂るの墓』の悲劇は清太の罪?糾弾する意見が多発

『火垂るの墓』を鑑賞した人の多くは、最初は疎開先のおばさんが憎らしく思えるが、大人になって見返すと清太にも落ち度があるという意見を述べています。

疎開先のおばさんは清太と節子の雑炊の米を少なくしたり、「疫病神」と言ったり、なかなか辛辣な態度をとっているのです。わずか14歳と4歳の子供には酷なことに思えますよね。

しかし、清太は居候にも関わらず毎日ぶらぶらと過ごすだけ。疎開先のおばさんが文句を言いたくなる気持ちも分かります。そして居心地の悪さに耐えられず、清太は節子と疎開先から出ていく決断をするのです。この選択が、清太の大きな罪であると多くの視聴者は考えています。

実際、食料を得る力がなく周囲の大人と関係を築くこともしなかったため、2人の暮らしはどんどん困窮していきましたよね。これに関して高畑監督は、清太の理想が関係していると述べています。

無心に”純粋の家庭”を築こうとする。
そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。
しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。

大人もみんな清太になりたがり
自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。
社会生活はわずらわしいことばかり、
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、
自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。

清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。
現代の青少年が、私たち大人が、
心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。

つまり、清太はこれ以上辛い思いをしないために、社会から確立した理想の家庭を節子と2人で築こうとしたのです。しかし現実問題それができなかったから2人は死ぬことになった、高畑監督はそんな残酷な事実もしっかりと表現しています。

『火垂るの墓』の最後で清太は死亡する?死因や死んだ場所は?

清太の死因は原作でも映画でも「栄養失調」だとされています。節子と同じ死因ですね。滋養のあるものが摂取できず、衰弱してなくなりました。

場所は三ノ宮駅中央口の構内です。「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というセリフと共にその姿は映し出されます。実際に、三ノ宮駅には清太と同じように戦争孤児となって居場所を失った子供が集まっており、餓死や衰弱で亡くなっていったそうです。

清太は節子が生きていた頃は、泥棒をしてでも生き抜こうとしていました。しかし、節子の死後は生きる希望を失くし、わずか1ヶ月後で後を追うようになくなるのです。直接的な死因は十分な食べ物を食べていない生活による栄養失調ですが、多くの人はこれを「自殺ではないか」と考えています。

なぜなら、清太の死の直前に、清太のそばに握り飯を差し入れしてくれた人がいたのです。しかし清太はその握り飯には手を付けずに死んでいきました。つまり、握り飯を食べないことで自ら死を選択したのではないか、と考察されているのです。

『火垂るの墓』の観客を見る!怖がる人が続出
清太のカメラ目線の理由は?岡田斗司夫さんの考察も紹介

ここからは、『火垂るの墓』を視聴した人が口を揃えて怖いと語る「清太のカメラ目線」について解説していきます。このシーンは、画面から視聴者を無表情でじっと見つめる清太がどこか恐ろしく、多くの人にトラウマを植え付けました。

結末を最初に明かすミステリーの構成を採用しているため

まず『火垂るの墓』は、清太の霊による「死んだ」という独白シーンを入れて、最初に結末を明かす構成を採用しています。そこで田と節子の死を印象付けるために、高畑監督は印象的な独白シーンにこだわったと言われています。

そして、清太と節子の霊が現れるシーンには暗く印象的な赤色を使うことを決定したため、おどろおどろしいカメラ目線のシーンが完成したのです。視聴者を見据えて語りかけるようなワンシーンは、これから描かれる悲劇を暗示しているような演出になっています。

視聴者に自分達の末路と戦争の悲惨さを訴えかけている

印象的なカメラ目線のシーンは、戦争が生み出す悲惨な状況、そして清太や節子たちのような戦争孤児たちが迎えた悲しい結末を訴えかけているという考察もあります。

しかし、高畑監督は『火垂るの墓』は反戦映画ではないと主張しています。そのため、あのカメラ目線のシーンはあくまで2人の悲劇のプロローグとして制作された可能性が高いのです。

火垂るの墓実は続きがあった?
清太は何度も繰り返す自分の死を眺め続けている

高畑監督は、『火垂るの墓』の結末を以下のように語っています。

清太と節子の幽霊を登場させているんですが、
この2人の幽霊は気の毒なことに、この体験をくり返すしかないわけです。
それは、例えその2人の生活が輝いていたとしても、羨ましいことでもなんでもない。
人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、
非常に不幸なことだと思うんです。
清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います。
つまり清太と節子は、『火垂るの墓』の映画が終わっても、ずっと死ぬまでの3ヶ月間をループしているという設定なのです。これはとんでもない悲劇ですよね。

高畑監督は、生き抜く術があったにも関わらず、2人だけの世界を築こうとして亡くなった清太と節子が煉獄に閉じ込められているかのような続きを『火垂るの墓』に用意したのです。

岡田斗司夫さんも「清太が煉獄に閉じ込められ、当時から現代まで、自分の過ちと、死にゆく妹を見せつけられている」と語っています。

実際に、冒頭のカメラ目線のシーンでは、2人が生きた当時の三ノ宮駅ではなく、現代の三ノ宮駅から物語が綴られていきます。つまり、物語は現代まで悲劇を繰り返している2人を示唆しているのです。手の込んだ演出なので気付かない人も多いでしょうが、この映画は現代から始まっています。

つまり清太のカメラ目線のシーンは、霊となって記憶を繰り返し続けている自分の悲劇を紹介するためのプロローグなのです。

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