【火垂るの墓】物語は実話?現実はもっと残酷?原作者の実体験から考察

【火垂るの墓】物語は実話?現実はもっと残酷?原作者の実体験から考察 火垂るの墓

『火垂るの墓』は、高畑勲さんが監督をつとめたスタジオジブリの長編アニメーションです。戦争孤児となった兄妹の過酷な生涯を描いています。

他のスタジオジブリ作品と異なり、かなり残酷なシーンが多く、劇場公開された当時はトラウマになったという人も続出していたそうです。

今回は、そんな『火垂るの墓』が実話であるかどうか、そして原作からわかる物語の裏側を紹介していきます!『火垂るの墓』をより深く理解したい人は、ぜひ最後までチェックしてみてくださいね。

『火垂るの墓』は野坂昭如による同名小説が原作

原作者野坂昭如
監督高畑勲
公開年月日1988年4月16日
声優辰巳 努・白石綾乃
上映時間88分

『火垂るの墓』は、野坂昭如さんの同名短編小説が原作としたアニメ映画です。原作小説は直木賞を受賞した大ヒットの名作で、英訳で世界各国でも刊行されています。

映画でも活かされている関西弁の口語を多用した文体が特徴的で、非常に読みやすく印象に残る小説として、多くの有識者から高い評価を獲得しました。

『火垂るの墓』の簡単なあらすじ

まずは簡単なあらすじを紹介します。

清太と節子は、心臓の病気を患う母親と海軍の幹部である父親と4人家族。比較的裕福で幸せな生活を送っていました。しかし太平洋戦争末期、神戸大空襲により清太と節子は母親と家を失います。

そして清太と節子は、父の従兄弟の奥さん、2人にとっては叔母にあたる親戚の家へ身を寄せることになりました。しかし、叔母さんは2人を厄介者扱いし、冷たい態度を取ります。そんな待遇に耐えられなくなった2人は、家を飛び出して防空壕で暮らすことに。

最初は誰にも邪魔されない兄妹水入らずの生活を楽しみますが、食糧難によって2人の生活はどんどん困窮していきます。兄である清太は節子のために野菜泥棒や火事場泥棒をして食い繋ごうとし始める始末。しかしそんな努力の甲斐もなく、節子は栄養失調で死んでしまいます。

そして妹を荼毘に付した後、清太は他の戦争孤児と同じように三ノ宮駅で過ごし始めました。痩せ細り、俯くだけの清太も節子と同じく栄養失調でやがて死亡。2人は終戦の日本の発展を見ることなく、短い生涯に幕を下ろしたのです。

監督は高畑勲・製作はスタジオジブリ

原作から脚本を製作し、監督をつとめたのは高畑勲さんです。基本的に短編小説である原作の構造やストーリーに忠実に作られていますが、印象的なポイントでいくつかの相違点があります。

節子の死の描写や、現代の日本の描写を挟む部分は、アニメ映画のオリジナルです。リアリティのある表現や、現代につながる他人事とは思えないような演出が、視聴者へ物語をリアルに伝えます。

そんな独特の演出や展開を挟んだアニメ映画は戦争映画として評判が良く、鑑賞した原作者の野坂さんも「感動した」と高く評価しました。

『火垂るの墓』はメディアミックスされている!
アニメ映画以外にも実写ドラマや舞台などが製作された

原作、アニメ映画ともに評価の高い『火垂るの墓』は、実写ドラマや映画、舞台なども製作され、あらゆる媒体でメディアミックスされています。

特に、人気女優の松嶋菜々子さんが清太と節子の叔母を演じ、叔母目線から物語を再解釈したスペシャルドラマが有名です。2人の兄妹を第三者の目線で描いたドラマは斬新で、放送当時話題となりました。

また、松田聖子さんや松坂慶子さんをはじめとする豪華キャストで製作された実写映画も公開当時より有名です。回想ではなく現在進行形で物語が進んだり、清太が死なずに1人で生きていくことを決意したりする、大幅な変更があることでも話題となりました。

ジブリでは異例?『火垂るの墓』は実話なのか?
作者の実体験がベースとなっている

ここからは、『火垂るの墓』のベースとなった原作者・野坂さんの実体験をもとに、作品の裏側を紹介していきます。

全てが実話ではないが実体験に着想を得た作品

『火垂るの墓』は、全てが実体験を忠実に沿った作品ではありませんが、設定や物語の展開、細かい描写などは原作者である野坂さんの実体験に基づいています。野坂さんは実際に末の妹を栄養失調で亡くし、その遺骨をサクマ式ドロップスの缶に入れるという経験をしたと語っています。

残酷で切ない物語のベースは、戦争を経験した野坂さんならではの記憶や心情、感覚なのです。戦争中の兄と妹の関係性、末路を描いた本作は、野坂さんの特有の視点でリアルで臨場感のあるものに仕上がってます。

『火垂るの墓』は作者の罪ほろぼし?
主人公・清太は作者の願望を託したキャラクター

野坂さんには2人の妹がおり、下の妹との仲は良好であったものの、末の妹の面倒はあまりみていなかったと語っています。面倒を見ないどころか、末の妹の存在を疎ましく思い、食べ物を奪ったり、叩いて脳震盪を起こさせたりしていたそうです。

物語とは大きく異なるポイントなのでびっくりですよね。そんな生活が続き、末の妹はやがて栄養失調で亡くなってしまいました。野坂さんはそのことを後悔しており、妹を可愛がれば良かったという気持ちを「優しく妹思いである清太」に託したのです。

知恵袋に寄せられる質問も多数!
『火垂るの墓』の原作と実話の違いを紹介

ここからは、『火垂るの墓』の物語と実話の相違点を紹介していきます。

実際の妹の年齢は1歳4ヶ月だった

原作者の野坂さんには2人の妹がおり、死なせてしまった妹はわずか1歳4ヶ月の末の妹でした。この末の妹が節子のモデルとなっているため、実際の年齢は節子より下だったのです。作中の節子は4歳で言葉を話し、兄のことも気遣う少女でしたが、実際の末の妹は夜泣きの激しい幼い娘でした。

実際の兄妹関係は良くなかった

末の妹と野坂さんは、物語のように仲の良い兄妹ではありませんでした。実際の野坂さんは夜泣きをし、面倒の多い末の妹を疎ましく思い、ろくに育てなかったと言います。放置するどころか、泣き止まない妹を日常的に叩いたり、空腹に耐えきれずに妹の粉ミルクを飲んでしまったりと、かなりひどい扱いをしていたそうです。

また、物語で清太と節子は疎開先の叔母さんから冷たい待遇を受けていましたよね。しかし実際は、疎開先の叔母さんは良い人だったとも言われています。家を飛び出すどころか、野坂さんはその家の三女に恋心を持ち、妹の面倒はさらに疎かになりました。

実際は兄(原作者)が亡くなることはなかった

原作者である野坂さんは、自身をモデルとした清太を物語に登場させ、死亡するまでを描きました。しかし、実際野坂さん自身は栄養失調で亡くなっていません。つまり兄だけは生き延びた、というのが現実なのです。

このポイントに関しては宮崎駿さんが指摘しています。「そもそも海軍の幹部の息子が餓死するはずがない」とし、清太が餓死するのは映画のリアリティに欠けるポイントであると苦言したのです。

しかし、高畑監督は社会から進んで孤立することの生き辛さや、悲惨な末路を描くために、あえてそのままの展開を採用したと考えられています。この意図を考えると、『火垂るの墓』を「反戦映画ではない」という発言していたのも納得です。

『火垂るの墓』の作者を唸らせた!
高畑勲の実話をアレンジした巧妙で怖い演出を考察

ここからは、『火垂るの墓』の監督を務めた高畑勲さんの演出やアレンジについて紹介していきます。

リアリズムにこだわった生々しい描写

高畑勲さんは、リアリズムにこだわった描写や表現を得意とした監督であり、『火垂るの墓』の作中でも、その描写が何度も挟まります。中でも印象的で視聴者の心に残るのが、清太の食欲です。

・清太が火事場泥棒を働き、人が避難した後の家でご飯を貪り食うシーン
・節子が死んだ後、節子のために用意したスイカや雑炊を平らげたシーン

このようなシーンが描かれています。非常時でも妹が死んでもお腹は空く、そんなリアリティが描かれているのです。

また、節子の死後に買ってきた食べ物を平らげた描写は、原作者・野坂さんによるたっての希望で描かれたものでもありました。野坂さんは実体験として妹を亡くした時、面倒から解放されるという気持ちでホッとしたと語っています。そんな自分の浅ましさや悪い部分を映画に反映させたかったのです。

また、清太と節子がどんどん窮地に追いやられている姿もリアリに描かれています。何も手伝わずに叔母さんに疎ましがられ、家出をして社会から孤立した生活を送る2人。そして周囲の大人を頼ろうとしない清太。そんな状態が2人をどのように苦しめていくのかが、驚くほど生々しく表現されています。

清太と節子が戦時中、どのようにして困窮し、悲惨な結末を迎えたのかが、トラウマとして心に残るような描写が多いのです。

冒頭で結末を見せる独特の構成

冒頭で清太が死ぬという結末を見せ、そこから清太と節子の日々を回想していく展開は原作に沿ったものです。清太と節子の幽霊が再開し、2人で死ぬまでの物語を振り返っていく独特の構成をそのまま採用しています。

しかし、高畑監督はここに現代の描写を入れることで、2人が今もなお死ぬまでの日々を振り返っているという展開を追加しているのです。これは非常に過酷な運命ですよね。

冒頭で清太が死にかけている自分を振り返るシーンでも、現代的なデザインの灰皿が設置された現代(映画が後悔された1988年当時)の三ノ宮駅が映ります。そして映画のラストでもビルが建って発展した神戸を見つめる清太と節子が描かれるのです。

つまり高畑監督は、2人が死んだ戦後から現代までずっと生前の日々をループしている、という展開を取り入れたということ。とても残酷で無慈悲な展開に思えますが、高畑監督は生き残る選択を積極的に選ばなかった清太にこの結末を与えたのです。

実話ベースの作品ならでは!
『火垂るの墓』に登場する場所は実在している

ここからは、『火垂るの墓』に登場する実在の場所を紹介していきます。

登場する駅や防空壕などの場所は実際に存在している

『火垂るの墓』には、冒頭から登場する三宮駅や、2人が暮らし始める防空壕など、印象的な場所がいくつか登場しますよね。そしてこれらの場所は、物語の舞台となった神戸と西宮に実在しています。

まずは冒頭で登場する三ノ宮駅です。これは、今も実在している「JR三ノ宮駅」の構内がベースとなっています。清太が柱に寄りかかったままの状態でなくなったのは、JR三ノ宮駅の中央口です。

実際にJR三ノ宮駅には、銃弾の痕が高架部分に残されています。特に説明書きはありませんが、実際に見ることができるので、気になる人はぜひ訪れてみてください。

そして2人が暮らしたニテコ池沿いの防空壕があった場所も、西宮市に実在しています。

その他にも清太と節子が乗っていた電車、駅構内なども実在の場所と同じように絵で再現されています。再現度の高さには、原作者である野坂さんも驚いたそうです。

縁の土地には石碑も建てられている

また、『火垂るの墓』に登場した川がある西宮震災記念碑公園内と御影公会堂には、『火垂るの墓』の石碑も建っています。

どちらもわかりやすく、戦争をしっかり記録するための石碑であることがわかりますね。縁の土地へ清太と節子の生き様、戦争孤児の悲しい記憶を忘れないように刻むことで、後世へ戦争の厳しさを伝えています。