【火垂るの墓】ネタバレあらすじを紹介!ちょっと怖い有名考察や原作小説も

ジブリ

1988年に公開されたスタジオジブリの『火垂るの墓』は、戦争をテーマとしたスタジオジブリ作品の中でも異色の長編作品です。リアルに描かれる戦火の残酷さや、戦争孤児の悲惨な末路などがトラウマになった視聴者も多いでしょう。

今回は、そんな『火垂るの墓』のネタバレを含むあらすじを詳しく紹介していきます!ファンの間で認知されているちょっと怖い考察や、原作小説の内容も解説しているので、ぜひ最後までチェックしてみてくださいね!

『火垂るの墓』はジブリじゃない?
作品情報とネタバレを含むあらすじを紹介

タイトル火垂るの墓
公開日1988年4月16日
監督高畑勲
原作者野坂昭如
上映時間88分

『火垂るの墓』は、スタジオジブリ作品と言えば誰もが想像する、宮崎駿さんが携わっていない作品として知られています。作風も他のジブリ作品と異なるため、中には『火垂るの墓』をジブリ作品ではないと認識している人もいるほどです。悲惨で悲しい印象から、現在の人たちが視聴しない風潮にある影響も大きいのかもしれません。

しかしジブリファンの皆さんがご存知の通り、『火垂るの墓』は歴としたスタジオジブリ作品です。確かに「墓」という字がタイトルに入っていることから、スタジオジブリの親会社である徳間書店が製作に難色を示しすというトラブルはありました。

しかし、鈴木敏夫さんの説得もあり、無事スタジオジブリ作品として製作されたのです。

野坂昭如さんによる自伝的同名小説が原作

『火垂るの墓』は、作家である野坂昭如さんの自伝的同名小説を原作として作られています。原作から高畑勲さんが脚本を製作してアニメ版映画にしました。細部に相違はあるものの、原作で綴られる戦争孤児として悲惨な末路をたどる2人の兄妹の姿を、映画ではリアルな表現で映像化しているのが特徴です。

実は原作小説は出版社に急かされて喫茶店で慌てて書いたもので、思い入れがないとも筆者の野坂さんは語っています。急いで書いて出版社に提出したため、野坂さんは小説を自分で読み返したこともなかったそうです。これは意外な事実ですよね。

そしてこの映画化の話を受けた際も、映画に対して特に期待を持っていなかったそうなのですが、実際に完成した映画を見ると号泣するほど感動したと野坂さんは語っています。

「葉末の1つ1つに螢の群がっていた、せせらぎをおおいつくす草むらの姿が、
奇跡の如く描かれている。僕の舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、
ただ呆然とするばかりであった。アニメ恐るべし。」

メディアにこんな言葉を残すほど、野坂さんは高畑監督の『火垂るの墓』を評価していました。

製作が間に合わなかった?『火垂るの墓』の監督は高畑勲さん

『火垂るの墓』は、高畑勲監督によって手がけられた作品ですが、高畑監督は自分のこだわりに対して妥協を許さない監督として知られていたそうです。

そのため、『火垂るの墓』の製作は公開に間に合わず、公開当時は色付けが完了していない白い場面がところどころにある状態でした。技術の発達した現在から考えると、前代未聞の話ですよね。

公開当時、その白い場面を多くの人は演出として認識したそうですが、映画を視聴した宮崎駿さんの弟一家は、たまたま遭遇した鈴木敏夫さんに「この映画は未完なの?」と尋ねたそうです。鈴木さんは、これを辛い思い出としてメディアで語っています。

人間味のある面白い鈴木さんのぶっちゃけ話ですが、映画の制作がいかに大変なものであるかもよくわかるエピソードですよね。

『となりのトトロ』と同時上映で劇場公開された

これも有名なエピソードですが、1988年の公開時『火垂るの墓』は『となりのトトロ』と同時上映されていました。戦争をテーマにした暗い『火垂るの墓』と、不思議な生物と姉妹の交流をテーマにした『となりのトトロ』を同時上映するなんて、ちょっと不自然な気もしますよね。

しかしこれには理由があります。当時スタジオジブリの第二作目として『となりのトトロ』が製作が進められていたのですが、スタジオジブリの親会社である徳間書店は難色を示していました。そして鈴木プロデューサーは高畑監督が『火垂るの墓』のアニメ映画化を考えていることを話し、興行的な面を考慮して同時上映を提案したのです。

 


この提案を受けた徳間書店の幹部は、「オバケはまだしも墓とはなんだ!」とこの2作品の暗さについて鈴木プロデューサーに怒ったといいます。鈴木プロデューサーも2作品の企画を進めるために大変な思いをしていたようですね。

『火垂るの墓』のポスターが怖い?隠された演出

『火垂るの墓』の有名なポスターは、夜の草原で清太と節子が蛍と戯れている一面を切り取ったものですよね。しかしこのポスター、実は明るさを上げると、2人の頭上に戦闘機のシルエットが浮かび上がる恐ろしい構図になっているのです。

そしてよく見ると、蛍の丸い光に混じって、細長い焼夷弾も描かれています。つまり2人が戦争の影響を受けて悲惨な末路を辿ることが、ポスターから既に暗示されていたのです。

『火垂るの墓』に対する宮崎駿さんの不満!リアリズムによる考察

『火垂るの墓』は暗示が盛り込まれていたり、戦闘機の飛んでいく方角にまでこだわった演出を採用していたりと、その作風が高く評価されています。

しかし宮崎駿さんは、清太と節子の飢え死に関してはリアリティがないと批判しているのです。宮崎さんは、清太と節子の父親が巡洋艦の艦長であり、その子供たちである2人は戦時中であっても絶対に飢え死にすることはないと主張しています。

実際に原作者である野坂昭如さんが飢え死にしなかったように、艦長の子供たちは仲間同士による助け合いで救済されるものだ、と宮崎さんは考えているのです。つまり野坂昭如さんの小説で演出的に死んだ2人は、リアリズム的な観点からは嘘であると考えられます。

貧乏人が死に、巡洋艦の艦長の子供は生き残るという、当時の日本の戦争におけるリアルと食い違っている点が宮崎さんには許せないそうです。一方で宮崎さんは、野崎さんが原作小説でその流れを作っている以上、高畑監督が従うのは当然なので仕方ないとも話しています。

『火垂るの墓』の原作小説のあらすじを簡単に紹介

ここからは、ネタバレを含む簡単なあらすじを紹介します。

まず物語は、昭和20年9月21日夜に、三ノ宮駅構内で14歳の清太が衰弱死する場面から始まります。そしてそこから、清太と節子の霊が自分達が死ぬまでの3ヶ月間を振り返る形で物語は綴られていくのです。つまり視聴者には、2人が最終的に亡くなることが最初に明かされています。

時は戻り昭和20年6月5日、海軍大尉の父と心臓の悪い母のいる比較的恵まれた家庭で育っていた清太と節子は、神戸大空襲に見舞われ、ここで母親は大火傷を負って死去。父親も戦地へ赴いて戻らないため、清太と節子は、叔母の家に身を寄せることになりました。

そして最初は円滑であった叔母と2人の関係は、逼迫した環境や清太の態度によって悪化していき、2人は逃げるように叔母のもとから家出します。その後2人は貯水池の近くにある防空壕に住み着き、自炊をしながら暮らし始めました。

しかし食料はすぐに底をつき、2人は苦しい生活をおくることに。清太は火事場泥棒や野菜泥棒を繰り返してなんとか生活を立て直そうとしますが、節子は栄養失調で衰弱し、やがて亡くなります。

節子を荼毘に伏し、父親の戦艦が沈んだことも知っている清太は、生きる気力をなくして三ノ宮駅の構内に座り込み、他の戦争孤児と同じように過ごし始めました。そして節子の死からわずか1ヶ月後、清太も栄養失調で衰弱して亡くなるのです。このシーンが冒頭へつながります。

『火垂るの墓』は実話?作者である野坂昭如の体験がベースになっている

『火垂るの墓』は、原作者の野坂昭如さんの実体験をベースにした自伝的小説です。野坂さんは1945年に起きた神戸の大空襲を経験し、その時の記憶をもとに小説を執筆したといわれています。ノンフィクションではなく脚色が加えられていますが、清太は当時14歳だった野坂さん本人がモデルでああり、物語の流れも野坂さんの経験に基づいているそうです。

しかし、小説に登場する4歳の妹・節子は実際には存在しておらず、野坂さんには1歳4ヶ月の小さな末の妹がいました。2番目の妹とは仲が良かったものの、当時の野坂さんは末の妹を疎ましく思っており、特に愛情を注いでいなかったそうです。やがて末の妹は食料をまともに与えられず餓死してしまいました。映画とは異なる悲惨な結末です。

そこで妹をもっと可愛がり、しっかり育てるべきであったと後悔した野坂さんは、物語の中に妹思いの優しい清太というキャラクターを登場させ、自分の思いを託したといいます。妹の遺骨をドロップの缶に収めたり、蛍を蚊帳の中で放したりと、実体験に基づく描写もたくさんありますが、この作品は野坂さんの妹への贖罪のために執筆された理想と事実の物語なのです。

『火垂るの墓』のアニメ映画と原作小説の違い

原作では強調されているような清太と叔母さんの身分の差や、関係性の逆転などは緩和されています。映画版でも清太と節子が良い暮らしをしていて、それなりに裕福であったことは示唆されていますが、原作はそれがより明確に描かれているのが特徴です。

さらに原作では叔母さんの2人への態度はもっと辛辣に表現されています。「疫病神」と呼んだり、「横穴に住んだらいい」と言ったり、映画版よりも冷酷な性格で表現されているのです。愛国心のない清太に腹を立てる流れは同じですが、その描写の加減は異なります。

しかしそれ以外は比較的忠実で、何より実写映画などでは再現できないような背景まで、野坂昭如さんのイメージ通りに再現されていると言われています。野坂さんは驚きと感動でアニメ版の『火垂るの墓』を大絶賛していました。

『火垂るの墓』が伝えたいことは?

『火垂るの墓』は、戦争の過酷さを伝える反戦映画として認識されがちですが、高畑監督は反戦映画ではないと主張しています。戦争によって生活が一変する物語なので、戦争の過酷さももちろん伝わりますが、高畑監督は、周囲を排除して生きる選択をした2人の末路に焦点を当てているのです。

求めれば助けてくれる大人は周囲にいたはずであり、2人はあえて社会との関係性を断ち、2人だけの幸せな家庭を築こうとした結果、悲惨な結末となったことを表現しています。実際に映画では、三ノ宮駅で衰弱した清太に見返りを求めずにおにぎりを差し出す大人も描かれていました。

つまり高畑監督はこの映画を通して、自分の選択で悲劇の結末を迎えた子供の姿を伝えようとしたのです。戦時中という環境に関わらず、自らのプライドや考え方のみに従った、ある意味頑固な清太の選択によって引き起こされる不幸を視聴者に見せています。

清太のとったこのような行動や心の動きは、
物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、
わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てないだろうか。
いや、その子供たちと時代を共有する大人たちも同じである。

高畑監督はメディアでもこのように語っていました。戦争があろうがなかろうが、窮地に立たされたときに誰かに頭を下げてちょったり、不遇な環境に耐えたりする力が清太にはなかったのです。

過酷な環境で生き延びるためにはどうすべきだったのか、周囲を排除した頑固な選択がどのような結果を人生にもたらすのか、そんな側面が伝えたいポイントといえるでしょう。

『火垂るの墓』のサクマ式ドロップスはあらすじに関係する?
ちょっと怖い考察を詳しく解説!

ここからは、『火垂るの墓』の代名詞的存在ともいえる、サクマ式ドロップスに関する少し怖い考察を解説していきます。『火垂るの墓』といえばサクマ式ドロップスを連想する人が多く、実際にサクマ式ドロップスの缶にも節子のイラストが描かれ、その印象は日本人であれば共通のものですよね。

しかし『火垂るの墓』に登場するサクマ式ドロップスには、原作者の悲しい実体験と、高畑監督による恐ろしいメタファーが込められているのです。

『火垂るの墓』の印象に残る場面で登場するドロップス

サクマ式ドロップスは、節子の好物として劇中に登場しますよね。ドロップのなくなった缶に水を注いでジュースを作ったり、大切そうにいつも持っていたりするシーンが見受けられます。

原作者である野坂昭如は、実際にドロップの缶に妹の遺骨を納めるという経験もしており、サクマ式ドロップスは非常に意味のあるアイテムなのです。実際に野坂さんの妹がなくなった際、野坂さんは清太と同じように自分で妹を荼毘伏したのですが、その際の火加減がわからずに、骨は少ししか残らなかったという話も野坂さんはしています。

その実体験と同じように、清太も節子の遺骨をドロップに納めて、自らが死ぬ間際まで持っていました。映画の冒頭で清太の死を確認した三ノ宮駅の駅員が、サクマ式ドロップスの缶を投げ捨てるシーンも印象的に描かれていますよね。

映画の随所、重要なポイントで、サクマ式ドロップスは登場しているのです。

骨壷のメタファー?ドロップを持つ節子の姿が悲しくも恐ろしい

また、サクマ式ドロップスは骨壷のメタファーとして描かれているという、映画監督として有名な押井守さんの怖い考察も有名です。幽霊になった清太と節子が無人の電車に乗り、節子は手にドロップの缶を持っているシーンは、死んだ2人が三途の川に向かっている様子を表しているといいます。

この電車のシーンは宮崎駿監督が手がけた『千と千尋の神隠し』で、主人公の千尋とカオナシが電車に乗るシーンでリフレインされているというのも面白いポイントです。確かによく見ると、構図や色合いが非常によく似ています。

そして電車のシーンで節子がドロップ缶をカラカラと鳴らしながら持つ、このシーンがドロップ缶の骨壷のメタファーになっているのです。カラカラとした音、缶を両手で持つ仕草、そんなドロップ缶を使った表現で死を隠喩しています。これは気が付くと非常に怖い表現ですよね。

恐ろしいだけではありませんが、高畑監督はこのような隠喩や映像表現を取り入れて、『火垂るの墓』独自の死と生の印象を作り上げたのです。