【火垂るの墓】節子の年齢や死因は?有名なセリフも紹介

火垂るの墓

『火垂るの墓』は、野坂昭如さんの同名小説を原作としたスタジオジブリの長編アニメーション作品です。高畑勲さんが脚本・監督をつとめ、1988年に『となりのトトロ』と同時上映されました。第二次世界大戦末期の日本を舞台にした作品で、シリアスで切ない作風が特徴的です。

今回は、そんな『火垂るの墓』の主人公である「節子」について解説していきます。悲しい物語と対照的な無邪気さで、公開当時から多くのファンに人気のキャラクターです。ジブリキャラクターの中でも幼く、可愛らしい見た目が印象的ですよね。

しかし、実際に節子の年齢やバックグラウンドを詳しく知っている人は少ないでしょう。本記事では、そんな映画だけでは知ることのできない詳しい情報も紹介しています。『火垂るの墓』をより深く楽しみたい人は、ぜひ最後までチェックしてみてください!

『火垂るの墓』の節子は何歳?何年生まれ?
年齢や誕生日などのプロフィールをチェック!

名前節子(苗字は公式未発表。ドラマ版では「横川」)
性別
年齢4歳
誕生年昭和16年
風貌おかっぱ頭

節子のフルネームは劇中で登場せず、スタジオジブリの公式も発表していません。原作小説でも登場しないため正式な苗字はわかりませんが、ドラマ版が制作された際には「横山節子」とうフルネームが公開されました。

しかし、原作者の苗字が野坂であり、節子は原作者の妹をモデルにしたキャラクターなので、本来の苗字は野坂であると考えられています。

節子とサツキは同い年!昭和16年生まれ

実は節子と『となりのトトロ』の主人公サツキは、同じ昭和16年生まれだということが明かされています。サツキは『となりのトトロ』の劇中で12歳という設定なので、昭和28年という『となりのトトロ』の舞台とされる時代とも辻褄が合いますね。

わずか4歳で亡くなってしまった節子のことを考えると切ない気持ちになりますが、サツキも節子と同じ第二次世界大戦を経験した子供だったのです。この2つの作品の大きな違いは、両親の有無であるという考察があります。

『火垂るの墓』で節子は両親を失い、疎開先にも馴染めないという不幸な環境にいました。一方でサツキとメイは両親が健在で、父親は安定した職業についていますよね。この環境の違いが2つの物語に大きな差をつけたのです。

怖いと言われがちな『火垂るの墓』の癒し!
ほっぺが印象的な節子のかわいい見た目

『火垂るの墓』は第二次世界大戦をテーマとした、スタジオジブリの中で随一のシリアスさが特徴的な作品です。戦争や人の生死がリアルに描かれているため、怖い映画として認識している人も多いでしょう。

しかし、そんな怖いストーリーや展開の中でも節子の4歳児らしい風貌は印象的です。かわいらしいピンクのほっぺ、おかっぱ頭、ぷくぷくと丸い手足、本来なら幸せの象徴として認識される愛らしい見た目をしていますよね。

特に冒頭から母親が死ぬ前までの裕福な期間は、活発さがある艶々とした見た目で描かれています。そして清太と防空壕で暮らし、衰弱死するまでの期間は愛らしいほっぺも失われ、痩けた顔、細くなった手足が特徴的な容姿に変化していくのです。

このように劇的な違いで容姿を描き分け、前半と後半で節子の死に向かっていく姿をリアルに表現しています。この容姿の変化を見るのが辛いという理由で、『火垂るの墓』を再鑑賞できない人も多いほどです。

『火垂るの墓』公開当時はわずか5歳!
節子の声優は白石綾乃さん

節子の声優を担当したのは、映画製作当時にわずか5歳だった白石綾乃さんです。白石さんは子役や声優であったわけではなく、高畑監督が節子と似た年頃で関西弁の子役を探すために開いたオーディションで選ばれた一般人。

白石さんの声を吹き込んだテープを聞いた高畑監督は、白石さんの声が節子のイメージとあまりにもピッタリであったため「節子がいる!」と興奮したという逸話も残っています。こうして白石さんは節子の声優に抜擢されました。当時無名の子供を声優に抜擢することは非常に珍しく、話題となったそうです。

『火垂るの墓』は、高畑監督の「演者のアクセントや息づかいまで映画に活かしたい」という要望を受けて、声に合わせてアニメ映像を作る「プレスコ」という手法で製作されたことでも知られています。

また、弱冠5歳の白石さんはどんなセリフも元気よく読んでしまったため、どのセリフも20回以上のテイクを重ねて、疲れた落ち着きのある雰囲気にあったテイクを採用したそうです。節子の声の演技にはこんなバックグラウンドがあったのですね。

『火垂るの墓』の考察はさまざま!
節子の死は本当に清太の罪?

『火垂るの墓』は、4歳と14歳の兄妹が戦争孤児として生き抜こうとし、やがて亡くなる悲しい物語ですが、そこにたくさんの考察が存在します。

その中でも多く見受けられるのが「節子の死が清太のせいである」という考察。これは、清太が疎開先のおばさんの家を出るという決断をしなければ、節子も清太も栄養失調で死ぬということはなかった、という考えです。

これに関しては高畑監督が雑誌「アニメージュ」で語っています。

「社会生活抜きの家庭を築きたかった。
周りの大人たちはみんな冷たかったかもしれない。
しかし清太の方も積極的に人との繋がりを求めるどころか、
次々とその機会を捨てていく。」
このように高畑監督は、大人に頼らない、社会的な関係性を自分で断ち切る、という選択をしたことで清太が窮地に立たされる姿をあえて描いたのです。この発言を見ると、戦争という不自由に抗い、自分の選択によって死んだ2人の物語として解釈できますよね。実際に高畑監督は、『火垂るの墓』を「反戦映画ではない」とも言っています。
一方で高畑監督は、以下のような発言も同じく雑誌「アニメージュ」に残していました。
「果たして私たちは、今清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
 全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
 清太になるどころか、未亡人(親戚のおばさん)以上に
 清太を指弾することにはならないでしょうか。
 僕はおそろしい気がします。」
高畑監督は、節子と清太が自らの選択で死ぬ悲惨な姿を描きながらも、そんな選択をした清太が責められる未来がくることを恐れていたようです。これは、自己責任を追求しすぎる冷酷な時代への懸念。そして「清太が悪い」という考察が多発している現代は、そんな高畑監督が恐れていた未来が実現してしまっているとも考えられますよね。
また『火垂るの墓』は、節子と清太の幽霊が登場し、その幽霊の視点で2人が死ぬまでの日々を振り返る形で物語が進む特徴的な作品です。高畑監督はこの演出に関して、「この2人が幽霊となってこの悲惨な人生を繰り返し続けている」という意図を述べていました。
つまり『火垂るの墓』は戦争孤児として亡くなった2人の子供の幽霊が、人生をループする悲しい映画としても解釈できるのです。このように考察や解釈はさまざまですが、いずれも悲しく幸せなものではありません。

『火垂るの墓』は放送禁止?
節子の「サクマ式ドロップス」のシーンが問題

悲しい戦争の記憶を風化させない映画として、繰り返しテレビで放送されていた『火垂るの墓』ですが、実はあるシーンが問題となって放送が控えられていたそうです。

それは、『火垂るの墓』の代名詞とも言える「サクマ式ドロップス」が登場するシーン。

実はこのドロップを製造していた「佐久間製菓」が戦時中に廃業し、その後佐久間製菓を経営していた兄弟がそれぞれ別の会社を創立したことから、商標をめぐった争いが起きて放送に影響したと言われています。

また、一方では視聴率の低迷が放送を見合わせる原因になったという説も。実際に視聴率は年々低迷し、初回放送は20.9%と好調でしたが、高畑監督の追悼として放送された2018年はわずか6.7%でした。

『火垂るの墓』の視聴者が指摘する!
節子はわがままだった?

『火垂るの墓』でよく指摘されるポイントとして、「節子のわがまま」が挙げられます。これは、疎開先のおばさんの家に帰ることを節子が拒否したことがきっかけで、清太が2人で暮らすことを決意したために生じた意見のようです。

実際、節子がわがままに振る舞う陰で、清太が畑から野菜を盗んだり、火事場泥棒を働いたりしている姿を見て、「清太がかわいそうだ」という意見が多く見られます。

しかし、戦争下という状況があるにせよ、節子はわずか4歳の幼い子供です。劇中で見られるわがままは、幼児に見られる一般的に行動と言えるでしょう。そばに両親がいて、現代のように恵まれた環境であれば、誰も気に留めないような些細なわがままです。

それが今回は清太に「疎開先の家を出る」という大きな決断をさせる引き金となってしまったばかりに、視聴者に非難されることとなりました。

その後、火事場泥棒を繰り返して他所の家の食料を貪る清太の姿も描かれ、多くの視聴者は衝撃を受けたのです。清太のこんな悲しく辛いシーンを見て、節子への非難の感情も向きやすくなったのかもしれません。

『火垂るの墓』で兄弟が死ぬシーンとは?
節子の死因は栄養失調?

ここからは、節子の死因について解説していきます。悲しいことに『火垂るの墓』は、清太の声で「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というナレーションが入り、節子と清太の死を前提としてスタートするのです。

そのため私たち視聴者は、節子と清太が死ぬ未来を漠然と想像しながら物語を見ることになります。そしてそれぞれの死去するシーンはしっかりと描かれ、特に節子は衰弱から死去まで刻々とリアルに描かれているのが特徴です。

死因は節子の兄・清太と同じ「栄養失調」と原作で明かされている

原作となった同名小説では、節子の死因は「栄養失調」であることが明かされています。アニメ版映画の劇中でも、節子は医師に「滋養を付けるしかない」と言えれるシーンがありますよね。配給が滞り、十分な食べ物を食べられていなかった節子は、まだ幼く体も小さかったことから、あっという間に衰弱して死んでしまいます。

痩せほそり、頬がくぼんだ姿になっていく節子の描写は非常にショッキングで、公開当時から話題となりました。頭髪にシラミがわいたり、おはじきをドロップと間違えて口にしてしまうまで思考能力が落ちたりと、死に近付く姿がリアルに描かれています。

目に入った雨が原因という考察もある

また、アニメ版映画では目に雨水が入り、痛がる仕草を見せる節子のシーンが印象的に描かれます。このシーンが思わせるのは、爆弾に含まれた放射線が雨に溶け出し、人体に悪影響を及ぼした「黒い雨」です。漫画「はだしのゲン」でも描かれていますが、黒い雨を浴びたせいで、多くの人々が体調不良や免疫力の低下が報告されました。

節子の死因も実は栄養失調ではなく、この雨が原因なのではないかと考察されています。実際、節子は栄養失調になる前から、背中に発疹ができるという症状に悩まされているのです。そして、お腹の不調が始まりどんどん衰弱していきます。

しかし、神戸の空襲では原爆が使用されていません。そのため、雨が原因である場合は放射線ではなく、空襲によってさまざまなものが燃えて発生した有害なガスや、工場から発生したガスなどが原因だと考えられます。

『火垂るの墓』の呪い?
節子の声優が行方不明という都市伝説

シリアスで怖い作風が特徴的な『火垂るの墓』には、さまざまな都市伝説が存在します。その中でも有名なのが、節子の声優を担当した白石綾乃さんの行方不明疑惑です。本作で声優を担当して以来、子役としても一時期活動した白石さんですが、それ以降は芸能界から姿を消しています。情報を追うのは難しい状態です。

多くのファンや都市伝説マニアはこれを「節子の呪い」によるものだと考察し、その話題は今でもネット上で見受けられます。

しかし実際は、白石綾乃さんの情報が追えないは白石さんが芸能界を引退したからであり、当たり前ですが呪いというものは存在しません。実際にSNSやブログで白石さんの現在の姿が明らかになったこともあり、ご健在であることは事実です。

『火垂るの墓』の有名なシーンに登場!
節子の印象的なセリフたちを紹介

ここからは、『火垂るの墓』で印象的な節子のセリフを紹介していきます。

「何でホタルすぐ死んでしまうん」

蛍の光に感動した節子が、翌朝死んでいる蛍を見つけてこぼすセリフです。美しくも儚い命が、死にゆく2人の運命を暗示しているかのようなシーンで、印象に残っている人も多いでしょう。このセリフは非常に有名で、本作の代名詞としても広く知られています。

「うちな、お腹おかしいねん。もうずっとビチビチやねん」

疎開先のおばさんの家を出て、防空壕で暮らし始めてからまともな食事を摂れなくなった節子のセリフです。発疹は治らず、お腹の不調まで始まり、節子はどんどん衰弱していきます。清太に症状を明かすも、特に対処できないまま症状は放置されるのです。このシーンは、栄養失調に加えて胃腸炎を起こしていたのではないかと考察されています。

「てんぷらにな、おつくりにな、ところてん。アイスクリーム。それから、またドロップなめたい」

弱る節子を医者へ連れて行くも「滋養を付けるしかない」と言われてしまった清太が、節子に食べたいものを聞いたシーンのセリフです。このセリフから、節子と清太は当時ではかなり裕福な家庭で暮らしており、良いもの食べていたということが予測できます。