【もののけ姫】シシガミの正体やモデルは?最後の結末も考察

もののけ姫

1997年に公開されたスタジオジブリの長編アニメーション作品、もののけ姫。

もののけ姫に登場するキャラクターの中でも、ひときわ強い存在感を放っている「シシガミ」について考察していきます。

シシガミは大きなシカのような姿で人間に似た顔を持ち、夜になると巨大なデイダラボッチに変身します。

シシガミって一体何なのか?最後はどうなった?などの疑問をまとめていきます。

シシガミって何者?能力や正体について

シシガミはもののけ姫の作中で描かれる架空の生き物で、生と死をつかさどる神様です。

山犬のモロは「シシガミは命を与えもし、奪いもする。」と言っており、乙事主の命を吸い取りアシタカの傷を癒しました。

水の上を歩いたり、にらみつけるだけでタタリ神の暴走を抑えたりするなど、様々な能力を持っています。

シカのような動物の姿で描かれていますが、夜になると姿を変えたり、石火矢の弾が貫通してもすぐに治ったりしたことから、実体のない「生命エネルギーの集合体」と考えることもできます。

シシガミがエネルギー集合体と考えると、映画の展開にも納得できる部分が増え、違う見方ができますよ。

シシガミの足元で草が生えたり枯れたりするのはなぜ?

シシガミが地面を歩くとき、足を付けた地面には草が生え、足を離すと枯れていきます。

なんとも神秘的で、たった数秒でも印象に残るシーンですよね。

シシガミが触れた場所には生命が吹き込まれ、離した瞬間にそこから生命が抜けていく様子を足元の植物で見せています。

「生と死をつかさどる神様」というシシガミのアイデンティティを、ワンシーンでわかりやすく見せた演出と言えるのではないでしょうか。

シシガミの顔が怖い!モデルとなった動物はカモシカ?

真正面から見たシシガミの顔のアップは、トラウマものの怖さです。

こっちをジッと見つめる赤い目、微笑んでいるような口元は人間のようですが、ヤギのように横長の瞳孔を持っています。

カモシカのような体と立派な角を持ち、蹄が3つある足は大型の鳥類のようです。

複数の動物が組み合わされた姿に人間に似た顔が付いていることで、見る人に得体のしれない気持ち悪さを与えているのかもしれません。

そんなシシガミのモデルになった動物は「鹿」が有力です。アシタカも「金色の鹿」と言っている場面がありますよね。

鹿を「神様の使い」として神聖な動物だとする信仰は日本各地に古くからあり、「神鹿(しんろく)」という言葉もあります。

そんな神々しいイメージが、森の神様であるシシガミのモチーフにつながったのかもしれません。

シシガミの森の場所はどこ?

スタジオジブリの公式サイトでは、もののけ姫の舞台について「大いに参考にした場所」として屋久島と白神山地の名前があげられています。

コダマがいる森が屋久島の苔むす森にそっくりなのは有名ですよね。

白神山地には、シシガミの池に似た美しい池があります。

屋久島は鹿児島県にある島で、白神山地は青森県から秋田県にまたがる山岳地帯です。

アシタカが西へと旅をしてたどり着いた地がシシガミの森であることから、シシガミの森は屋久島にある、と考えるのが自然ではないでしょうか。

乙事主を見た時のジバシリとジコ坊の会話に「鎮西の乙事主だ!」「鎮西?海を渡ってきたというのか?」というのがあり、シシガミの森が屋久島であるなら、鎮西=九州から海を渡ってきた、というこの会話にも納得です。

デイダラボッチって何?実在する?

シシガミは夜になると、半透明で二足歩行の巨大な姿に変身し、人間たちからは「デイダラボッチ」と呼ばれています。

このデイダラボッチは、実際に存在するのでしょうか?
デイダラボッチの伝承は日本各地にあり、山や湖、沼を作ったとする国造りの神様に対する巨人信仰から生まれた伝説上の存在です。

地域によって「ダイダラボッチ」「だいらぼう」「でいらぼっち」など様々な呼び方があります。

神奈川県相模原市にデイダラボッチの足跡がある?

神奈川県相模原市にある「鹿沼公園」には、デイダラボッチ伝説が書かれた看板があります。

富士山を背負ったデイダラボッチが大山に腰かけて一息つき、立ち上がろうとしましたが富士山に根が生えたようで持ち上がりません。

そのとき踏ん張った両足の跡が、今も鹿沼公園にある「鹿沼」と300メートル離れたところにある「芭蕉沼」と言われています。

もののけ姫のデイダラボッチとはずいぶんイメージが違いますよね。

シシガミは夜デイダラボッチになって何をしている?

シシガミはデイダラボッチになり、一体何をしているのでしょうか?

宮崎駿監督の著書によると、「シシガミは夜になるとデイダラボッチの姿になり森を育てている」とのこと。

森に生命エネルギーを与えて森を育て、デイダラボッチも森からエネルギーをもらっているのかもしれませんね。

自然界を創造する行為は、日本各地に残るデイダラボッチ伝説と共通するところがあります。

シシガミの首が狙われたのはなぜ?

エボシ御前やジコ坊などの人間たちは、シシガミの首を狙って森に入りました。

それは「天朝さま」からジコ坊へ、シシガミ退治の命令が下されていたからです。

天朝さま、つまり帝は、シシガミの首に「不老不死の力がある」と信じていたのでしょうか。

ジコ坊やエボシ御前は不老不死の力を信じている様子はありませんでしたが、ジコ坊は命令に従って報酬を得るため、エボシ御前はタタラ場の繁栄のジャマになる森の神を排除するために、お互いに手を組み、シシガミの首を狙ったと思われます。

撃たれるシーンの謎。1発目は撃たれても生きている

水面を歩いてきたシシガミは、木の陰に隠れていたエボシ御前によって首を撃たれました。

弾は貫通し、シシガミの顔が人面から鹿の顔のように変形します。

前足が水に沈み始めますが、再び足を水面につけて歩き出し、モロと乙事主の命を吸い取ります。

首を石火矢で撃たれたのに、特にダメージはなかったようです。ちょっとビックリして立ち止まっちゃった…くらいの感じでした。

このシーンは、シシガミを動物ではなく「生命エネルギーの集合体」と考えると合点がいきます。

もともと複数の生命の集合体であるシシガミは、石火矢で撃ちぬかれても集合が解けることはなく、特に影響はなかったのだと考えられます。

2発目に撃たれたとき、どうして首が飛んだのか

1発目をスルーしたシシガミですが、2発目に撃たれた時は首を飛ばされてしまいました。

この違いは何だったのでしょう?

2発目を撃たれる前、シシガミはデイダラボッチになろうとしていました。

首が伸びて体は半透明になっていき、変身する途中で首を撃たれたのです。

つまり、変身中は生命エネルギーの結合が弱く、シシガミにとっての弱点だったと考えられます。

シシガミは石火矢を打とうとしているエボシ御前の方を向き、石火矢に植物を生やして妨害しようとしていますよね。

つまり今撃たれるとまずい、とシシガミ自身もわかっていたのでは…。

撃たれた時の顔が気持ち悪い…顔が変わるのはなぜ?

シシガミが首を撃たれた瞬間、それまで人間のようだった顔が一瞬で鹿のような顔に変わりました。

実はシシガミはこのシーンだけでなく、何度か顔が変わっているんですよね。

人面の時には、目の下にある模様の色が変わります。

ジブリファンの間では、命を与えるときには茶色で奪うときには緑になるのではないかと考察されています。

一度撃たれた瞬間に鹿のように変形した顔はすぐに人面に戻りましたが、二度目に撃たれて首が飛んだあとには、草食動物の首のような見た目になっています。

ラストシーンでサンとアシタカがシシガミに返すために持ち上げた首は、鹿のような動物の首でしたよね。

顔が変わるのはなぜなのか?様々な考察を読み、たどりついた結論をご紹介します。

「シシガミは、もともとはただの鹿だった。長く生きる中で生命エネルギーを集めて人知を超えた存在になり、姿かたちも異形に変化していったが、首を飛ばされたことでエネルギーが削られ、元の鹿の顔に戻ってしまった。」こう考えると、なんだかしっくりきませんか。

長く生きて巨大化し人間の言葉を話すモロや乙事主よりも何倍も長い時間、シシガミの森に生きているのかもしれませんね。

シシガミは最後にどうなった?

首を取られてドロドロを森中にまき散らし、触れたものの命を見境なく吸い取ったシシガミは、最後にはどうなったのでしょうか?

デイダラボッチの姿で首を求めて暴走し、サンとアシタカに首を返してもらうも、朝日を浴びて消滅してしまいました。

消滅=死んだのでしょうか?登場人物のセリフとともに振り返ります。

シシガミは死んだのか?

シシガミが消滅した際に爆風を起こし、その風でタタラ場の火事は消え、森には一斉に緑が芽吹きました。

甲六はその様子を見て「シシガミは花咲かじじいだったんだぁ」と言っています。

これは、シシガミに集まっていた生命エネルギーがはじけ、森の植物に新しい命を与えたからだと考えられます。

サンは「シシガミ様は死んでしまった」と言いましたが、アシタカは「シシガミは死にはしないよ。命そのものだから。」と言いました。

もののけ姫のパンフレットには、「シシガミは月の満ち欠けとともに誕生と死を繰り返す」とあります。

目に見えるシシガミは消えてしまいましたが、循環する生命の営みそのものとして存在し続けるのです。