「火垂るの墓」は、1988年に公開されたスタジオジブリの長編アニメーション映画です。
戦時下を懸命に生きようとする幼い兄妹を描いた映画ですが、主人公が死んでしまう結末や辛すぎるストーリーから「2度は見れない」という声も多い作品です。
そんな火垂るの墓に存在する都市伝説をご紹介します。
火垂るの墓の怖い都市伝説
火垂るの墓にまつわる怖い都市伝説をまとめました。
この都市伝説を知ると、火垂るの墓がさらに怖い映画に感じるかもしれません。
火垂るの墓のポスターは背景に何かがある
火垂るの墓のポスターには、清太と節子の周りを無数の蛍が飛び交う美しいイラストが使われています。
背景は真っ暗な夜の闇かと思いきや、よく見ると何かがあるような。
明るさを変えて見ると、黒い空に「B29爆撃機」が描かれていることに気付きます。
蛍だと思っていた無数の光は、実は空から降り注ぐ焼夷弾をあらわしているのかもしれません。
火垂るの墓のポスターのホタルが全て蛍じゃないという説は本当だった。 pic.twitter.com/ZLtRyvx9ou
— イエス・キリスト (@yeskiri) April 25, 2021
清太と節子の遺影のように見えるシーン
火垂るの墓の作中に、遺影を意識しているとしか思えないシーンがあります。
それが、清太が節子のために蛍をたくさん集めてきて蚊帳の中に放つシーン。
このシーンの背景をよく見ると、左右対称の柱がちょうど遺影のように2人を囲んでいるのがわかります。
死を暗示するような演出がされているのです。
火垂るの墓のこの場面ですが実は二人の
遺影になってたって知ってましたか pic.twitter.com/c2UGnn8W9q— 貧乏太郎 (@5yd1dkb9zcknpGM) June 21, 2022
節子の死因は栄養失調ではない?
節子の死因については「栄養失調」と思う方が多いかもしれません。
ですが、節子と同じように暮らしていた清太は栄養失調になっておらず、別の死因が考えられます。
それが「黒い雨」。戦争で空気中に散らばった有害物質を含んだ雨のことで、浴びると様々な健康被害が出るとされています。
作中には節子が目を気にしているシーンが何度かあり、節子はこの黒い雨を目に浴びてしまったことで、下痢や湿疹などを併発し亡くなってしまったと考えられます。
清太の死因は何?
駅の柱にもたれて座り込み、衰弱して亡くなったように見える清太。
彼の死因についてはあいまいでよくわかりませんよね。
食べるものがなくなったことによる栄養失調や餓死とも考えられますが、清太の死因は自殺という説もあります。
節子のために盗みまでして生きようとしていた清太ですが、節子が亡くなって生きる気力を失ってしまったのではないでしょうか。
駅で座りこんだときには通行人に差し出されたおにぎりに手を付ける気力もなく、死を選んでしまったのかもしれません。
清太が骨を食べるシーンがある?
亡くなった節子を火葬した後、清太がドロップ缶からなにかを食べるシーンがあります。
この時清太が食べたものは何なのか?
映画の冒頭では、駅員が亡くなった清太の持ち物からドロップ缶を取り出し、放り投げたときに中から小さな骨のようなものが転がり出てくるのが印象的でした。
清太は節子の遺骨をドロップ缶に入れていたと考えられ、この骨を食べた可能性もありますが、定かではありません。
昔の日本には「骨噛み」という、弔いや追悼の意味で死者の骨を食べる習慣が存在したそうです。
清太の罪の意識が重い
冒頭の「昭和20年8月22日、僕は死んだ」という清太のセリフ。
死んだ自分を客観的に見ながら話すこのセリフや、映画の最後に現代の神戸の街が映ることから、清太は死後も亡くなった場所にとどまり地縛霊となっていると考えられます。
自身の判断で先に防空壕に行かせた母親が空襲で死に、叔母との関係がうまくいかずに家を出たことで妹を死なせてしまった清太。
後悔と罪の意識から、成仏できずに生前の辛かった記憶を繰り返し追体験しているのではないでしょうか。
戦争と終戦の混乱の中、生き延びることができず亡くなった2人が無数の蛍とともに、繁栄した現在の神戸を見つめる印象的なラストシーン。数百万人の犠牲を伴った厳しい戦争を経て、神戸をはじめとした日本の繁栄が築かれたことを暗喩するかのようです。#kinro #火垂るの墓 #高畑勲監督追悼 #節子 pic.twitter.com/4c7A40XuUe
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) April 13, 2018
火垂るの墓が放送されない原因になったシーン
たびたびテレビ放送されていた火垂るの墓ですが、あるとき全く放送されなくなった時期がありました。
その原因になったのが、作中に出てくる「ドロップ缶」。
「サクマ式ドロップス」と缶に描かれたこのドロップは、もともと「佐久間製菓」という会社が製造していました。
この会社が2社に分離したとき、佐久間製菓が「サクマ式ドロップス」、サクマ製菓が「サクマドロップス」を作り商標問題に。
このお家騒動に巻き込まれ、火垂るの墓も一時地上波で放送されなくなりました。
節子が大切にしていた唯一のお菓子が「サクマ式ドロップス」でした。戦前・戦中の昭和を生きた子供たちにとってサクマ式ドロップスはかけがえのないもので、貧しい暮らしの中に甘い彩りを与えてくれた宝物でした。現在も多くの人に愛されています。#kinro #火垂るの墓 #高畑勲監督追悼 #節子 pic.twitter.com/EsyPXCe0bj
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) April 13, 2018
火垂るの墓 声優陣の現在
清太役の辰巳努さんは当時16歳、節子役の白石綾乃さんは当時5歳でした。
そんなお二人は現在全く芸能活動を行っていないことから「失踪」「行方不明」などと噂になったこともあります。
実際は事件性のある失踪などではなく、お二人とも芸能界を引退し、一般人として生活されているようです。
火垂るの墓とジブリ他作品とのかかわり
ジブリ作品の中では異質ともいえる火垂るの墓。
他の作品とのかかわりをまとめます。
千と千尋の神隠し
千と千尋の神隠しでは、千が銭婆のもとへ向かうとき海の上を走る電車に乗りますよね。
その電車に乗ってくる、黒く透けた人たち。その中に節子によく似た少女がいるのです。
おかっぱ頭に白いシャツとスカートを身に着けたその女の子の影は、電車には乗らず、駅のホームで誰かを待っているような様子です。
清太より早く亡くなった節子が、千と千尋の神隠しの世界で清太を待ち続けているのではないでしょうか。
となりのトトロ
「火垂るの墓」と「となりのトトロ」は、同時劇場公開作品でした。
どちらも昭和の日本を舞台にした作品ですが、テイストが大きく違いますよね。
なぜこの2作品が同時公開されたかというと、となりのトトロの単独公開に難色を示した親会社を説得するため、鈴木敏夫プロデューサーが火垂るの墓との同時上映を提案し、公開可能となったという裏話があります。
節子とメイは同い年の4歳。
さらに火垂るの墓の舞台は昭和20年、となりのトトロの舞台は昭和28年という時代背景から逆算すると、節子とサツキは同じ年生まれです。
あまりにも対照的な2組の兄弟ですが、年齢が近いという共通点があります。
サツキと節子が同じ年(昭和16年)生まれという設定を考えると背筋が凍りそうになる。同じ国で同じ時期に起きた物語なのに、彼らの表情はあまりにも対照的。
公開当時『トトロ』と『火垂るの墓』は2本立て上映だった。もし何かが違ければ、彼らの人生は真逆だったかもしれない pic.twitter.com/ZSQMkEi6mA
— (ジェム) (@Gemararara) August 19, 2022