2013年公開のスタジオジブリ作品『風立ちぬ』をご存知でしょうか?新世紀エヴァンゲリオンで有名な庵野秀明さんが声優を務めたこともあり、注目していた人もいるようですね。
そこで今回は「風立ちぬの菜穂子は死んでいる?」や、映画内で語られない背景・概要について調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
風立ちぬの菜穂子は死んでいる?
風立ちぬの菜穂子は死んでいるとの噂を知っていますか?作品内ではヒロインが亡くなったことを明確にしていないため、さまざまな憶測を呼んでいるようです。「菜穂子の死因は自殺説」や「菜穂子の死因は結核説」について紹介しましょう。
菜穂子の死因は自殺説
風立ちぬの菜穂子が死んでいる噂として、自殺説が挙げられます。自殺説が流れた理由は結核だった菜穂子の容態が悪化し、手紙を置いて黒川家を出て行ったからです。
菜穂子が病院行きのバスに乗車しなかったことから、自殺する場所を探していたのではないかと考察されました。しかし、菜穂子が列車へ乗る様子が描かれているため、どこかで自殺をしたとは考えにくいでしょう。
菜穂子は自身の苦しむ姿を二郎に見られることを避け、病院での治療を決断したと推測できます。
菜穂子の死因は結核説
結核説は、風立ちぬの菜穂子が死んでいる噂の1つです。菜穂子は二郎と過ごすために、病院での結核治療を止めますが容態は悪化。再び病院で治療をすることに決めますが、当時の結核は不治の病と言われていました。2人はできる限りの愛を伝え合いましたが、菜穂子の容態が悪化したことにより、死が近づいたことを意識した可能性があります。
二郎は試験飛行が成功してみんなが喜ぶ中、風が吹く飛行場で菜穂子の死を感じ取ったと言えるでしょう。
映画内で語られない背景は?
映画内で語られない背景について、知りたくないですか?作品の中だけでは、分からないことについて紹介します。「風立ちぬの時代に流行した菜穂子の病気とは?」や「菜穂子のモデルは矢野綾子」を1つずつ見ていきましょう。
風立ちぬの時代に流行した菜穂子の病気とは?
風立ちぬの時代に流行した菜穂子の病気は、映画内で語られない背景の1つです。菜穂子の病気は結核であり、当時はなす術がない病でした。
「風立ちぬ」の舞台は1920年代で、病気に対応できるワクチンの開発や流通がままならない時代だったと言えます。また、関東大震災が襲ってきた時期でもあり、国の中心である東京が壊滅状態になって医療体制はひっ迫していました。
さまざまな病気が流行する中で、結核は特に恐れられた病だったようです。
菜穂子のモデルは矢野綾子
映画内で語られない背景の1つとして、菜穂子のモデルは矢野綾子が挙げられます。結核を患っていた女性で油絵を描いていましたが、病が進行して亡くなったそうです。
菜穂子は矢野綾子さんがモデルで設定も同じですが、オリジナルの人物とされています。ジブリ作品の中でヒロインが亡くなるのは「風立ちぬ・菜穂子」と「火垂るの墓・節子」の2人です。
風立ちぬの概要
『風立ちぬ』の概要は、宮崎駿監督のスタジオジブリ制作・長編アニメーション映画。ジブリの長編作品としては、初めて実在の人物をモデルにしたことで話題になりました。作品のキャッチフレーズは「生きねば。」で、フランスの詩人であるボール・ヴァレリーの詩の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」からの引用です。
宮﨑駿監督の『風の谷のナウシカ』とも繋がりがあり、力を尽くして生きることの必要性が伝わる作品と言えるでしょう。
宮崎駿について気になる方は、是非こちらをチェックしてみてください。
まとめ
今回の記事では「風立ちぬの菜穂子は死んでいる?」を中心に、映画内で語られない背景・概要についてご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
菜穂子の死因は自殺説に驚きましたが、見方によってはさまざまな捉え方ができるようですね。映画内では語られない背景も参考に、映画『風立ちぬ』を楽しみましょう!