2011年公開の、新海誠監督によるアニメ映画「星を追う子ども」をご存知でしょうか?本作品は生死がテーマであり、大切な人との別れや人生について考えさせられた人もいるようですね。
そこで今回は、星を追う子どもがひどいと言われる理由や考察・シュンが会いたかった人物などについて調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
「星を追う子ども」がひどいって本当?
新海誠作品の中でも異色である星を追う子どもは、評価が大きく分かれます。ジブリ作品を思わせる作風や、既視感のあるキャラクター・展開が多く見られ、寄せ集めたような印象を与えるでしょう。結果的に物語の方向性や、監督自身の意図が見えにくくなり、何を伝えたかったのか分からない視聴者もいたようです。
しかし、新海誠作品を通して観ると星を追う子どもの試みや、立ち位置が分かる面もあり、単体では理解しにくい魅力が潜んでいる作品とも言えます。
アニメ映画「星を追う子ども」の考察
新海誠監督の作品「星を追う子ども」を考察していきましょう。
アスナとシュンの関係
アスナとシュンの関係は「1つの魂が生まれてくるときに2つに別れてくる」というスピリチュアルな思想「ツインレイ」の概念で捉えると腑に落ちる点が多くあります。アスナが限られた出会いの中で、シュンに強く惹かれたのは魂の片割れだったからでしょう。
アスナが鉱石ラジオで聴いた唄に「1人じゃない」と感じたのも、ツインレイとして魂が共鳴したからと考えられます。また、アスナが「どこか遠い違う場所へいかなきゃ」と感じていたのは、ツインレイを探す魂の旅だったのかもしれません。
アスナがアガルタの旅を楽しんでいるのはなぜ?
アガルタの旅をアスナが楽しんでいる理由は、地上では得られなかった人とのつながりが、大切なものになったからと推測できます。アスナは地上で孤独な日々を過ごしており、看護師の母とはすれ違いが多く、学校でも友達を避けて心を閉ざしていました。
そんな中で訪れたアガルタの旅では、森崎先生と常に行動を共にして心を通わせるようになります。アスナは次第に森崎先生のことを父のように感じ、安心感や温かさに触れることで自然と笑顔が増えました。
星を追う子どもが伝えたいこと
星を追う子どもが伝えたいのは「死を受け入れ、今を生きること」と推測できます。アガルタの旅は、愛する人へ「さよなら」を告げるための旅。森崎先生とアスナは今を生きていないことに気づき、自分の人生と向き合うようになります。
アガルタは滅びゆく世界で、死後の世界「アストラル」へ溶け込むのをまっている状態。肉体は生きていますが、魂は死んでいる世界を表していると考えられます。死と再生や魂の旅を描いた本作品は、日常の悲しみや孤独にとらわれず「生きること」の大切さを思い出させてくれるでしょう。
シュンが会いたかった人や見たかったものは?
シュンが会いたかったのは、最初は幼い頃に慕っていた先生であるアスナの父だったと考えられます。アガルタ人だったアスナの父は地上に出て母と出会い、アスナが誕生。しかし、シュンはアスナと出会って最後に歌った自分の唄を偶然聴いてくれたのがアスナだったことから、本当に会いたかったのは彼女だったのかもしれないと感じます。
また、シュンが地上で見たかったものは夜空の星であり、アスナの父から「死んだ人は星になって見守ってくれる」と幼い頃に聞いていたからです。
まとめ
今回の記事では、新海誠監督の『星を追う子ども』がひどい理由を中心に、物語の考察やシュンが会いたかった人などについてご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
シュンはアスナの父に会いたいと思っていましたが、本当の相手はアスナだったようですね。スピリチュアル要素のある作品ですが、自分の感性で鑑賞してみましょう!